揺れ動き歪んで見える像。
どのようなわたしも同じわたしなのである。
正しい姿などなく、見えているのが全てである。

たとえそれが間違っていたとしても、信じて精一杯に愛してみればいい。
どれも同じにんげんであるのだから。