文章サンプル1(三人称一元視点、和風アクション)
文章サンプル1
――誰か居る。
少年は、つと足を止めると、あたりを睥睨する。
月明かりの下、見晴らしのいい河辺であった。
葦が風に揺れてさらさらと音を立てる。
川沿いに半里ばかり走ったが、ここまで誰ともすれ違わなかった。
なにしろ夜々中である。
その上、怪しげな一党が跳梁跋扈する御時世。
たとえ明るい夜であっても、わざわざ外に出る者などいるはずがない。
もし、いるとしたら――
「…………!」
少年は腰の剣に手をかけようとして、寸前で止める。
(先に抜くな)
そう、師匠に厳命されている。
先に抜けば、怯えを相手に伝えることになる。
この場合の「相手」とは、近くにいるはずのなにかだ。
いつでも抜刀できる構えで、闇をにらみつける。
「驚いたな」
大きな影がのそりと動いた。
「さすがは、あの男の弟子か」
人間であった。
熊を思わせるような大男。
髪も髭も生え放題で、かろうじて腰に下げた一本の刀剣が野生生物ではないと教えてくれる。
少年はあっけにとられて目と口を大きく開く。
こんな大きな男が、隠れるところのない闇に潜んでいただって……?
まったくもって只者ではない。
はては、狐狸妖怪の類いか。
「失礼――身共になにか御用でしょうか?」
少年はいつでも抜ける構えを解かずに尋ねる。
「なに、失礼なのはこちらのほうだ。おヌシの懐の手紙をちょっとばかり見せてもらいたくてな」
「――――――」
少年は驚きを顔に出さぬよう苦心する。
確かに――届けるべき手紙を預かっていた。
なくさぬよう、着物の裏に縫い付けてある。
だが、それが書かれたのはわずか半時前のこと。
なぜ、手紙を持っていると知っている?
なぜ、ここを通るとわかった?
(これだから達人というやつらは)
と、少年は心中で呪う。
世の達人たちは武芸の腕のみならず、諸事の手練手管に通じている。少年の師などは、外国船との交渉から、宝石細工の修理、吉凶の託宣に至るまで何でもこなす。先日などは、某家の姫君と当世風の化粧について語らっていた。
目の前の大男は、師匠と同じ穴の狢である。
いつ何を知ってどうしようと驚くべきではないのだ。
「――何分、受取人以外誰にも見せるなと言付かっておりますので」
「まあ、そう言うな」
大男が一歩前に出た。
あまりに無造作に間合いを詰めた。
熊というよりは豹に近いしなやかな動きであった。
少年は蜻蛉を切った。
空中で大きく後ろに一回転。
だが、遅い。
大男の放った斬撃が少年の背中を凪ぐ。
(…………!!)
一瞬で全身が冷たくなる。
着地した足から崩れ落ちそうになり、どうにか支える。
身体を真っ二つにされなかったのは、実際には大男が剣を抜かなかったからだ。
「うん? どうした?」
顎髭に手を当てて、わざとらしく尋ねる。
それは単なる威圧のようなものだった。
いつでも斬れるという気配を出したに過ぎない。
だが、たったそれだけで少年には伝わった。
(この男が本気なら確実に死んでいた)
――なにをどうしようとも絶対に勝てない。
もし少年が常人であれば、恐怖と無力感で肉体が動かなくなっていただろう。
幸いにも、少年は化け物に慣れていた。
「小童相手になんと無体なことを」
取り澄まして、たしなめるように非難する。
普段から師匠の横にいる。
これくらいでくじけていたら、達人の弟子などできない。
「へっ、単なる小童相手ならこんなことはしねぇよ」
獣のような満面の笑み。
「おまえには斬る価値がある」
大男はとうとう獲物を抜き放った。
分厚く無骨な刀身に月の光がぎらつく。
巨躯にふさわしい実戦用の大物であった。たとえ刃がなくとも、その目方だけで容易く少年の頭をかち割ることができそうだ(どうせよく研がれているに違いないが……)。
「いいでしょう」
やむなし。
少年はとうとう剣の柄に手をかけた。
使命がある。
師匠が少年に託したのだ。
「ほぉ……」
覚悟を察したのか、大男は構えを変えた。
正眼。
攻防一体、奇怪な風体にそぐわぬ正統な剣法であった。
(面倒な……)
ただでさえ強いのに、真正面から堅実に対峙するつもりであるらしい。せめて侮ってくれと思うが、構えに油断や隙は一部も感じられない。
だが、もうそんなことは関係なかった。
「いざ――!」
少年は駆け出した。
くるりと背を向け、来た方向へと。
「ナヌッ!?」
急に逃げ出すとは思わなかったのだろう。
完全に大男の虚を突いた。