アイラの夢は森を見ることだった。
 アイラを取り巻く世界は青と黒ばかり。光の差し込まぬ深海に住んでいるために、岩陰で揺れる海藻やひらめく魚たちの色すらもわからない。ただ、帯のように揺らめく青色が時折その深さを変えるだけ。
 海の上には陸があり、陸には森があるらしい。そう聞いたのは、おばばにお話をせがんだ時のことだった。おばばは群れの語り部で、かつて深海を出ていった人魚の話をいくつも知っていた。その中に森の話があったのだ。
 煌めく太陽光、海とは違う透き通った空、そこを浮かぶ白の雲という波、魚のように空を泳ぐ鳥、森は海藻が波に揺れるように風というものにそよいで、土はしっとりと濡れている。
 アイラにとって森とは憧れの象徴だった。いつか海の浅いところに行く。森を見てみる。それがアイラの掲げた夢だった。
 けれど。
「おーい。アイラ。何してんの?」
「わっ」
 急に声を掛けられてアイラはぎょっとした。声を掛けてきたのは群れの中でもしっかり者のお姉さんで、アイラの姿を見るなりため息をついた。
「まーた森に懸想してたわけ?」
「違うって」
 そうは言ったが違わない。アイラは十二歳。群れでの狩りに参加する年齢だ。だというのに、狩りに出た時にするのは獲物を取り囲んでぐるぐる泳ぐことでも、獲物を仕留めることでもなく、ぼんやりと頭上を見上げては森について考えることだった。
「狩りの時だけしか深海を出られないし、森について考えちゃうのもわからなくはないけどね」
「だから違うってば」
「アタシも昔は憧れたもんだよ。でも、深海が一番いいの。ここが一番安全で、暮らしやすい場所なんだから」
「姉さまはじゃあ、外の世界を見たことがあるの?」
「いーや? でも、見なくってもわかるよ。ここが一番いいんだってことはね。ほら、さっさと手伝って」
 急かされてアイラはむくれる。だが、逆らうことはできない。最後にちらりと、色の薄くなった海を見上げてから、渋々彼女についていった。
 それから、アイラは隙を見つけては群れを抜け出し、どうにか地上を目指せないかと足掻いた。けれどことごとく失敗した。群れの居住地である深海は、岩石がくり抜かれたボールのような空間にあって、外へと出るにはうんと細い穴を通っていかなければならない。アイラの体ではその穴を抜けることはできなかった。
 それでもアイラは諦めない。海底に落ちている岩を使って穴を広げ始めた。岩をこんなふうに使うだなんてこと、群れの誰にも思いつかないことだった。
 ある日アイラはいつものように穴を拡張していた。その時。ドドド、と周囲の水が揺れた。アイラは手にした岩を取り落としてしまった。拾いに行こうと深い場所に潜る。ドドド、とまた水が揺れた。
「あ」
 アイラの眼の前に崩れた岩の壁があった。

 辺り一帯を飲み込んだ地殻変動。それにより深海のホールは潰れた。
 長い長い年月を経てかつての海底は地上に出た。陸地になったそこには草木が生え、やがて森となった。
 森の中にいくと、そこにはオパールが落ちていることがある。青や黒を基調とし、虹色の複雑な輝きを内包するボルダーオパール。それらはかつて人魚の鱗だったと言い伝えられているが、誰も真実を知る者はいない。