視覚と聴覚が、ゆっくりと機能を取り戻した。
『……平衡。よし』
 私は、自分の姿勢を確認した。目の前は、幅10メートルもありそうなシャッターだ。
『ジュリエット小隊、準備いいか』
 インカムに教官の声が響いた。
「ジュリエット・ワン。オンボード」
 私はそう応答した。私の声に別の声が被ってきて、わずかに遅れて全く同じ言葉を繰り返した。「ワン」は小隊リーダーで、前日にくじ引きで決まる。
「機能、感覚クリア。異常なし」
 別の声が、0.5秒の遅れで同じことを繰り返した。それがとても苛立たしい。
「ジュリエット・ツー。オンボード」
 私の左右で小隊のメンバーが一人ずつ応答した。全員が同じ声に聞こえるが、別の声が少し遅れて全く同じ言葉を繰り返す。これに慣れなくてはいけないのだが、どうしても気になる。
「ジュリエット小隊、装弾」
 教官の指示で、私は弾かれたようにして背中のガンパウチから銃を抜き出した。パウチの蓋、その隙間に指二本を押し入れると銃が滑り出てくる。練習用は全員がシグというメーカーのP300型だった。小指と親指だけでそのグリップを保持して、最初の押し込んだ二本の指で奥にあるマガジンを抜き出すのだ。
 これはフィールドに出る前にうんざりするほど練習させられた。最初から手に持っていれば済むことなのに。
 銃とマガジンを持った手を体の前に回すと同時に、マガジンを左手に持ち替えて銃のグリップにセットする。その前に左の手のひらを使って銃のスライドを引いておかなくてはならない。
 マガジンが確実にセットされたことを確かめたら、左の親指でスライドストッパーを押し下げる。スライドが音を立てて標準位置に戻ったらセイフティを解除、そのときにはツーハンドホールドの姿勢をとる。これをたった2秒か3秒で完了させなくてはならない。6つのスライドが標準位置に戻る金属音が、ほぼ同時に響いた。
「ジュリエット・ワン。セット、レディ!」
 また6つの同じ声が続いた。6つの別の声がそれを繰り返す。
「ジュリエット、コンタクト」
 教官の声にかぶって、かん高い電子アラームが鳴った。同時に、目の前でシャッターが開き始めた。
「スタアン、バイ!」
 私は小隊のメンバーに声をかけ、銃を下ろした。だが下ろしただけで、依然として両手で保持したままだ。
 シャッターが上がりきった。
「ジュリエット小隊。オン、フィールド」
 教官の合図に、私は深呼吸をひとつした。いや、しようとした。この体が深呼吸できるのか私は知らなかった。
「ジュリエット、ゴー!」
 さっきまで遅れて聞こえていた声は、もう聞こえなかった。



 足の下で、瓦礫が崩れる感触があった。足元を確かめるために顔を下へ向けると姿勢が崩れた。同時に眩暈がして視界全体が変にぼやけたり、一部はモザイクのように変化した。
「3番、余計なことは気にするな。ただ前進しろ」
 インカムから、無表情な教官の声が流れ出た。
「はい」
「全員、あと15メーター前進。陣形を乱すな」
 私は左右にいるメンバーの位置を確認した。
 目に入るものといえば瓦礫と崩壊した建物ばかり。それを背景にして、現在私が率いている小隊のメンバーが半ば透けたシルエットになって見える。
『止まれ! 散開、低く!」
 教官の声が響いた。私は急いで地面に膝をつき、次いで両手をついて伏せの姿勢をとった。
『遅い!お前ら全員、弾食らってるぞ』
 自分としては精一杯すばやく伏せたのだが、外から見ればひどくもたもたとした動きだったらしい。
『 伏射姿勢!』
「はいっ!」
 ただ伏せの姿勢をとるだけではだめなのだ、戦闘フィールドではどんな時にでも射撃を行える状態であることが求められる。
『目標4。左前方、距離10』
 教官の声と同時に、黒っぽい人型が瓦礫の陰から現れた。
『射撃はじめ!』
 私は両腕を伸ばして銃を構えた。照門に目の焦点を合わせて、ターゲットはぼやけても構わない。右の小指だけでグリップを保持、左手は添えるだけ、トリガーは一瞬で引ききり、ハンマーが作動する感触があったら指は止める。
 手の中で銃が震えた。だが発射の衝撃も銃声もない。
 ターゲットが斃れた。でも、私がトリガーを引く寸前に倒れたように思えた。
『ニー! 用意!』
 教官の声で全員が体を起こし、片膝を地面についた姿勢をとった。
『ターゲット、オン!』
 意外なほどの近距離にターゲットが4体立ち上がった。
『射撃はじめ!』
 その声よりほんの少し早く、私はターゲットを照準してトリガーを引いていた。人型ターゲットの中心に画かれた同心円のほぼ中心に、赤いレーザー光が一瞬輝いた。