主人と従者
深夜2時。
ネオン煌めく繁華街の裏路地を、二つの異質な影がゆらゆらと歩いていく。
片やラフな服装にピアスやブレスレットをちら付かせ、現代の若者に溶け込むかの如く黒マスクで顔を覆う生意気そうな少年。
片や漆黒の堅苦しいスーツに身を包み、その目元を不思議な布で覆い隠している真面目そうな成人男性。
些か珍しい二人の組み合わせは、一際癖の強いこの街の人間からもさぞ異質に映っている事だろう。
そんな人々の目の間を縫う様にして路地裏に入るが否や、尊大な足取りでスーツ男の前を歩いていた小柄な少年は、その小さな頭を鬱陶しそうに振って被っていたフードを脱ぎ払う。
橙の灯りを照り返す艶やかな黒髪の隙間からは、深く根を張る様に滑らかな朱色の角が伸びており、長めの前髪から覗く大きな瞳は、まるで新鮮な生き血を注ぎ込んだ様に禍々しい色をしている。
フード越しでも時折交わっていた幾つかの視線は、彼の空虚な血色に言い知れぬ恐怖を抱いていた事だろう。
「若様、幾ら真夜中とはいえ此処は繫華街の路地裏…人の目がいつ何処にあるやも分かりませぬ。
どうか今だけでも、角を隠しては頂けないでしょうか。」
眠らない街灯りが遠ざかる中、人ならざる少年に向けてそっと窘める様に口を開いたのは、繫華街の入り口からこの場に至るまで、始終影の様に付き従っているスーツの男であった。
その声に暫し間を置いた後、ザリ…、とスニーカーの擦れる音を響かせて鈍く光る赤色が苛立ち混じりに男を捉える。
「……るっさいなぁ。たかが父上の側近の分際で俺くんに指図してんじゃねーよ。
仮に見られたとして、こっちは鬼だ。そいつを喰っちまえばぜ~んぶ解決。それで良くね?」
「この街の人間は血の匂いに敏感ですから、そういう訳にも行きません。
それに古くからの掟により、私たち一族は人間と極力上手く付き合っていく義務がある。そうでしょう?」
「ははっ……そんな寂れた掟に従ってんの、もうお前ぐらいだと思うけど。
数だけ無駄に増えちまった害獣は、出会い頭に何匹か喰い殺すぐらいで丁度いいんだよ。」
目元を覆う布もあってか、表情の読めない従者に向けてシニカルな笑みを見せた後、少年は再び暗がりに向かいゆっくりと歩き出す。
従者が静かに口を噤んだ事にも、夜の冷えた空気が頬を撫でるのにも構わず、少年は不意にマスクをずらしてスン…と鼻を鳴らす。遠くの方から、煙草と酒のふんだんに入り乱れた様な酷く香ばしい匂いがする。
二人、三人……恐らくもっと居るだろう。
人間の生きる街がこれ程までに騒がしく、かつて以上のままならぬ時代に心は無残にささくれ立っていく。
そんな賑やかで陰鬱な夜には、重度のニコチンで燻したアルコール漬けの肉が堪らなく旨いのだ。
従者に襟首を掴んで止められるまでの数秒間、某鬼一族の末裔である少年は静かに舌鼓を打ったのであった。
END