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 都心から少し離れた都内の郊外に、とある美術大学がある。
 学部学科の数が少なく、その規模も比較的小さめだ。学生の数も少なく、キャンパス内は静かな雰囲気が流れているが、髪を明るい色に染め、奇抜なファッションで纏め、誰にも遠慮せずに個性を発揮している学生達が目立つ。そんな中に潜むように、地毛のままの栗色の毛に、高校時代に買った地味な服を着た新入生が授業を受けていた。

(なんだか、思ってたより授業が難しいな……)

 広い講義室の後ろで、蒔田双葉は目を細めて黒板を睨み、板書を取っていた。学外の人間が抱くイメージ通りに、絵を描いたり陶芸品を作るような実習の授業も多いが、今の双葉は座学授業を受けている。
 この教室にいる学生は、誰もが「芸術を学びたい」と思って入学した者であり、双葉もそれは同様だが、

(絵を描くのに、こんなに色んなことを勉強しないといけないなんて……)

 入学後五月の今の時点で、既に自信を失いつつあった。

 小学生の頃から絵を描くことが得意で、ノートの隅に少しでも空白があれば、ペンで花や物、何かのキャラクターを描いており、いつも同級生や教師からよく褒められていた。自分の席の周りに同級生達が集まることが、ちょっとした自慢だった。

 中学生になると美術部に入り、絵を描く先はスケッチブックだけではなく、タブレット端末を用いたイラストにも幅を広げるようになり、双葉が描く絵やイラストは学校の同級生だけではなく、インターネットのSNSでも他人の目につくようになり、褒められる機会も増え、双葉の中で自信となっていった。

 現代文や数学を勉強することよりも、双葉の興味と集中力は、自分の部屋で絵かイラストを描くことに向けられるようになる。美術の授業は、週に一日しかない上に、さほど集中して取り組まなくとも好成績を収めることが出来、自分にはこの道が向いているのだと思った。
 そうして、高校生になる頃には、美術大学への進学を志すようになり、この大学に進学した。

(う、課題がまた出た……。どうしようかな……)

 やがて、授業が終盤になると、課題が出される。海外の文化と歴史を交えた視点からレポートを書けという課題。

 高校までは、分からない宿題があれば、周りにいる誰かが助けてくれた。反対に、自分が誰かを助けることも出来た。しかし今は、分からないことがあっても誰かが助けてくれるわけではない。このキャンパスで求められるのは、調べればすぐに分かるような、明確な答えがある知識だけではなく、個々人が持つ発想やセンス、表現力だからだ。



 気持ちが晴れないまま午前の授業は終わり、昼休みとなる。大学内にはそれなりの規模の食堂があり、利用する学生も多い。この大学は近くに商店街などは無く一般住宅が広がっており、学外で食べ物を買える場所といえば、少し離れたところにコンビニがある程度。

 偶然かもしれないが、この美術大学の学生は、食事に拘りを持つ人間があまりいない。朝のうちにそのコンビニで買ってきたパン類をキャンパス内ですぐに食べ、昼休み時間中も空き教室で課題をこなしたり、授業の予習や復習に当たっている学生がほとんどだった。

 一日三食も摂らず「空腹で集中力が途切れるから」という理由でやっと食事をするような者が目立つ。
ただ、食事に興味が無くとも、食べ物の形状や盛り付けといった見た目に関心を示す者は多い。そこで得た着想や発想を、自分の好きな分野、学ぶ分野に結び付けようとする。
 日常で拾うことが出来るどんな小さなきっかけでも、自身の表現力の向上に意識を向けている。

「午前の授業どうだった?」
「あの課題どうしようか……」

 隅にある席で友人達とそんな会話をしながら、双葉は軽めの食事を摂っている。美味しいと思えないのは、この食堂のせいではなく、気持ちが落ち着かないせいだろう。
 浮かない気持ちを表情に出さないよう努め、これまでの小中高の学校生活で身にしみついた笑みを浮かべている。

「それじゃ、またね」

 テーブルを囲んでいた全員の食事が終わり、数分だけ会話をすると、友人達はそれぞれ次の授業に向かって移動して行った。見事に全員が、別々の授業に向かって行く。

 多くの人間が通う一般の大学であれば、興味関心が有るか無しかを無視して「友人が同じ授業を受けるから」という理由で受講する講義を決めることもあるだろう。しかし、美術大学においては、それはあまり起こらない。座学のような、知識を中心に求められる授業であれば別かもしれないが「友人が版画の授業を受けるから私も版画の授業を受ける」と安易なことをして、その後どうなるかは容易に想像がつくだろう。