サンプル②

 独り、食堂に残った双葉も次の授業に向かおうとする。

(そろそろ私も行かないと)

 昼休みに休憩を挟み、気が抜けたことで、午前よりも更に気が重くなる。午後の授業もまた課題が出そうだと予想する。未だ終えていない課題は幾つあっただろうか。増えていく課題に対して、それをこなす気力と集中力が追い付かない。そんな悩みが双葉の頭から離れない。悩むことで、余計に効率を悪くしてしまっている。

「あまり、向いていないのかな」

 ここ数週間、薄々と感じていた思いが言葉になってしまう。なるべく考えないようにしていたが、思わず漏れ出た一言が、そのまま胸に突き刺さったように感じる。

 すると、立ち上がろうとしていた身体が重くなり、午後の授業に向かうことが急に難しいことのように思えてくる。これまで当たり前に行い、続けられていたことが、ふとしたきっかけで一度途切れてしまうと、それまでどうやってこなしていたのかを忘れてしまう。
 絵を描く時も、それ以外の場面でも、同じような経験をしたことがある双葉は、

(ここで授業に出なくなっちゃったら、もうその後ずっと出られなくなりそう)

 そう気持ちを奮い立たせ、次の講義を受けるためになんとか三階に向かい始める。

 そんな、ゆっくりと階段を歩く双葉の横を、すたすたと早足で歩き追い越す学生の姿があった。金髪と黒髪のツートンカラー。肩の前で髪の毛を二つ小さく束ねている彼女は、双葉のことが目に入っていないかのように真っ直ぐ歩く先だけを見て、三階に上がって行った。



「……」

 数時間後。午後の講義を受け終えた双葉。この日の授業はもう全て受け終えた。

 この大学は、その日受講する講義が無くなっても、学内に残って自主学習や課題をこなす学生が多い。所属学科や受講している講義によるが、人間の身体より大きなキャンバスや百種類近い絵の具を広げられるような大きな部屋も、陶芸作品を作れる機材も、そしてそれを家の中で行うことを許容する家族も、大抵の家には無い。
 そのため、課題一つを進めるにも学内まで足を運ばなければならないことが多い。必然的に、学生達は大学にいる時間が多くなる。

 一方で双葉の足は、自宅のある方向に向かっていた。自分にもやるべきことはたくさんある。それは分かっている。しかし今、この大学の敷地内にいることはどこか居心地が悪いと思ってしまう。とはいえ、早い時間から帰宅することは、やることが無いようで情けない。矛盾するような考えは、そのまま今の心境を表しているようで、余計に心を曇らせ、ただ足取りだけが重くなる。

「あ。あの子、さっきの授業にもいた……」

 講義棟を出て、重い足取りで正門に向かっていた時、印象的な金髪と黒髪のツートンカラーの後ろ姿が見えた。さっき受講した授業にもいた学生だ。彼女もまた、この早い時間帯に帰路に就いているようだ。
 ずるい考えだと思ったが、帰宅する学生が少ないこの時間帯の中、仲間を見つけたように感じてしまった。思わず声を掛けようと、近付いていく。

「あの」

 背中の方から近付き、声を掛ける。しかし、返事は無い。そして、彼女は歩く速度がかなり速い。双葉が小走りになってやっと追いつける速度だ。

「ねえ、ちょっと!」

 双葉が前に身を乗り出して、目を見てそう呼び止めると、ようやく足を止めてくれた。彼女の藍色の瞳と目が合う。睨むような冷たい目をしており、愛想が無い。双葉の周りには、あまりいないタイプの人間のように思った。

「……なんだ。私に話し掛けているのか」

 対面して初めて、双葉よりも彼女の方が少し背が低いことに気付く。一言だけ返してくれた、釣り目気味の目は、視線を合わせたまま。小さな口が開かれ、そこから聞こえたのは、クールな雰囲気に合うやや低めの声だった。藍色の瞳で見られた双葉は、少しだけ怖いと思ってしまったが、持ち前の愛嬌を見せ、

「うん。私、一年の蒔田双葉っていうの。いくつか、同じ授業出てるよ。さっきも同じ授業にいたよ」
「そうか。すまない。憶えていない」

 そう言うと、再び歩き出してしまう。

「ま、待って。ちょっとお話しようよ」
「……あまり時間が無くてな。歩きながらでいいか?」

 端的に答える彼女の足元は、履き古した白い紐無しスニーカーを履いている。靴を何度も脱いだり履いたりすることが多い、絵画系の授業を取っている学生がよく履いているタイプの靴。足音を立てずに駅の方に向かい始めた。

「お名前、教えて!」

 綺麗に光る黒いローファーの踵からコツコツと音を鳴らした双葉が、明るい表情を作って名前を聞くと、