■こういうの好き
「この部屋、なんだか暗いな。お前みたい」
「うるせえよ」


■生意気な後輩×真面目な先輩
「今から先輩が面白いことしまーす！」
「お、おい馬鹿っ！」
※先輩は芸などをするタイプではない


■紫音とシフォン
◎現代舞台/両片思い風/ちょっと切ない/一人称視点/

社会人になる直前の3月に買ったビジネスバッグがある。

仕事で移動する際はリュックサックのように背負えるタイプの方が便利だということを知って、たまたま近くのスーパーで数千円で売っていた特売品を買った。
聞いたことがないメーカーの名前が英字で描かれている。愛着は無い……つもりだ。

何年か使い続けたので使用感があるけれど、安い割には長い間壊れずに持ってくれたなと思う。
正直、すぐ傷んで使えなくなると思っていた。

「ボーナスが出たら好きなブランド品でも買うか」なんて考えていたけれど、実際に手にしたボーナスも給料も、ほとんど貯金に回してしまった。仕事で消耗する物に大金を出す気にはなれなかったことも理由だ。

それか、傷んだり壊れたりするくらい使い込む前に仕事を辞めただけかもしれないが。

＊

「はい、誕生日おめでとう」

適当に入った喫茶店で、そう言われながらあいつから……紫音から差し出されたのは大きな箱。
ご丁寧に包装までされている、いかにも「プレゼント」といった感じの見た目をしたもの。

「前に会った時に『そろそろ新しいバッグが欲しい』って言ってたろ」
「……そうだったか？」

正直、自分がそんなことを言っていたことすら忘れていた。
今日が誕生日であることはさすがに憶えていたが。

こいつは俺と違ってかなり忙しい生活を送っている。
本当はこうやってわざわざ会う時間すら、確保するのが難しいはず。
だが、俺が受け取るやいなや、安心したようにシフォンケーキの一口目を食べ始めた。
甘いものが食べたかった、だとか言っている。

前に会った時……半年前の自分は、そんなことを言っていたのか。
まだ仕事を辞める決意をしていなかったということか。
少し前の俺が、いつどんなことを考えていたか、忙しすぎて憶えていなかった。
去年の8月も9月も10月も、仕事をしていた記憶だけはあるが、ほとんど日々の違いが分からない。

ともかく、誕生日プレゼントという善意を受けて、

「ありがとな」

と返す。
「もう会社辞めるんだ」とは言えなくて、嬉しさと申し訳なさが混じって涙が浮かびそうになったが、なんとか耐える。

本当は、言いたいことはたくさんある。
「俺が社会人になってからも会ってる同級生なんて、お前だけだ」
「別に無理して会わなくてもいいぞ」……とか。

手元のコーヒーが冷めたら、なにか1つくらいは訊いてみようか。
いや、飲み終えたらにしよう……。
なんて考えているうちに、すぐ帰りの時間になってしまった。

住んでいる場所も遠いので、次はいつ会えるか分からない。
あいつを見送る駅のホームで、新幹線が遠くに小さく消えるまで見送る。
プレゼントが入った大きな紙袋が、行き交う他人の目に目立っていただろうけど、そんなことはどうでもいい。

＊

しばらくして。
ふと、貰ったバッグを肩に掛けて近所のスーパーまで買い物に向かう。
誕生日のあの日から間もなくして仕事を辞めてしまったので、仕事用のこのバッグが活躍する機会はほとんど無く、部屋に置きっぱなしにしていたのが、紫音にもバッグにも申し訳無かった。

勤めていた会社と家を、数年間ひたすら往復した道を歩く。
退職してからずっと、無意識のうちにそこを通ることを避けていたが、その日は何故か通った。

バッグの中身はほとんど空っぽ。キーケースと財布しか入っていない。
会社と家、何百回と往復する時にいつも背中に感じていた、ずしりとした重みが今は無い。
書類や仕事用のパソコンやタブレット端末が入っていないことも理由だろうけど、それ以外の解放感がある。

「この道、こんな景色だったのか」

視点が高い。
通勤の時は常に自信無さげに丸まって歩いていた背中が、真っ直ぐになっていた。

信号待ちのタイミングでバッグを手に取り、中身を見る。
中にはキーケースと、黒い二つ折り財布。結構な年季が入っている。
この財布も、あいつに貰ったもの。

次に会った時には、コーヒーを飲み終えるかどうかなんて関係無く、すぐに訊こう。
学生時代からずっと、訊けなかったこと、言えなかったことを全部。

到着したスーパーの入り口では、いつか買った特売品のバッグと同じものが売ってあった。